2012年1月31日火曜日

借り上げ住宅の方々が署名提出

   23日、神戸市灘区の借り上げ復興県営住宅「フレール六甲桜ケ丘」のみなさんが県庁に来られ、継続入居を求める署名を県に提出されました。

 いま、阪神・淡路大震災で県や神戸市などがURや民間から借り上げた災害復興公営住宅の入居者に「借り上げ契約期間は20年」だとして退去を迫っていて、大問題になっています。

 署名提出と県側との話し合いの席に、私と味口としゆき神戸市議(灘区)が同席しました。

 入居者の方々は、
 「県から引っ越し先の斡旋があり、あわてて転居した人が、慣れない暮らしで心労が重なり、救急車で病院に運ばれた。命に関わる問題。住み続けられるように考えてほしい」
 「70過ぎての転居は無理です。安心して住み続けられるよう、買い上げを最優先に考えてほしい」
 「ぜひ、直接住民の声を聞いて下さい」
 「知事にも署名のことを伝えてほしい」
 と次つぎと訴えられました。

 私も、「大震災から17年、被災者のみなさんは大変な苦労をして、借り上げ住宅の方々はようやくコミュニティができてきたところです。住み替えが難しい人を追い出すようなことは絶対にやめるべきです。そのためにも今日、入居者の方の声をしっかりと聞いてください」と県当局に要求しました。

 応対した住宅管理課長は、「返還期限をもってURに返すのが基本。住み替えが困難な人にどう措置するか検討協議会の報告をうけ来年度中に検討したい」と答えました。
 「宝塚市は借り上げの再契約を約束したので、ぜひ県も約束してください」との訴えにたいしては、「宝塚市は戸数が少ないから、兵庫県や神戸市とは違う」。
 相変わらず冷たい姿勢です。

 この模様はサンテレビも取材に入り、放映されました(私は映りませんでしたが)。

 行政の都合で病人や高齢者にまで引っ越しを迫るような非人道的なことは、絶対に認められません。本当に命に関わる問題です。
 しかもほとんどの入居者は、20年が期限であることなど知らされていません。

 12月15日には神戸の借り上げ復興住宅の住民が住み続けられるようにと「借り上げ住宅入居者連絡協議会」を結成しました。
 8月には、マンションを借り上げ市営住宅として神戸市に提供した民間オーナーの方々が、借り上げ継続を求めて「民間借上復興住宅所有者協議会」を発足させました。
 追い出しを許さない運動が大きく広がっています。
  
 私も入居者の方々と手を携えて、何としても住み続けられるように引き続き頑張ります!

県の担当者に訴える入居者のみなさん(左側)。
正面右が私、左は味口市議=23日、県庁

2012年1月28日土曜日

「阪神・淡路」をくり返さないで

  17日は阪神・淡路大震災のメモリアルデーでした。

 今回は何よりも、阪神を上回る被害が出た東日本大震災があった後なので、これまでのメモリアルデーとはやはり気持ちが違いました。

 早朝から東灘区の魚崎の住民が開いた追悼の催しに出席し、地震が起きた午前5時46分に黙とう。阪神・淡路と東日本の犠牲者の冥福を祈りました。

魚崎で開かれた追悼式

  その後、午前中は三宮の勤労会館で開かれた市民追悼式に参加し、午後は同じ勤労会館の「東日本大震災被災地と結ぶ17年メモリアル」(主催=救援・復興兵庫県民会議)集会に参加しました。

 この集会では、いま兵庫県や神戸市が借り上げ復興住宅から入居者を追い出そうとしていることと、業者の2重ローンの苦しみという阪神・淡路の現状が報告されるとともに、岩手県、宮城県、福島県から参加された方々が被災地と被災者の現状を報告されました。
  
 それを聞いて、驚いたというか、やはりというか、被災者の現状は大分厳しいことがわかりました。生活再建が大変遅れているのに、支援が不十分だったり、全くダメだったり。

 断熱性のない仮設住宅の極端な寒さや雇用が全くないこと、宮城県は大企業向けの施策ばかりで被災者は放置されていること、放射能被害で除染も全面賠償も進まない福島など、大変な現実が続いています。

 福島の話を除けば、阪神・淡路で震災後体験してきたことをトレースしているような…。
 仮設住宅は「冬は氷点下、夏は40度以上」というメチャクチャな住環境だったこと、多くの人が健康を害したことを思い出しました。東北はもっと寒いでしょう。当時、神戸の仮設の住民でつくる仮設住宅ネットワークのスローガンは「生きて仮設から脱出しよう」でした。
 宮城県は「単なる復旧ではなく再構築を」と標榜しているとのことですが、阪神・淡路大震災で兵庫県や国が「単なる復旧ではなく創造的復興を」と掲げたのと言葉までほとんど同じ。
 もちろん阪神とは色々な違いがあるし、県によっても違うでしょう。

 要するに大事なことは、国・自治体が被災者を大切にするかどうか、公的支援(個人補償)をはじめ生活と生業の再建に責任を持つかどうかです。ボランティアでは如何ともしがたい問題です。

 阪神・淡路の場合、神戸空港や新長田の巨大再開発のようなたくさんの大型開発事業が「復興」の名ですすめられ、被災者は後回しにされ、生活再建は個人の自己責任にされました。
 個人補償はされず、そのため、集会で報告されたように家や店を再建した人は大借金となり、孤独死は今も続き仮設住宅と復興住宅で合計950人にもなりました。
 この誤りを東北で絶対にくり返してはいけません。

 神戸の医療現場で被災者の方々の苦しみを見てきた者として、強く思います。

2012年1月2日月曜日

2012年 気持ち新たに

   新年明けましておめでとうございます。

 皆さんは新年をどのようにお迎えになられたでしょうか。

 昨年は、私の人生が大きく変わりました。たくさんの方々の応援に本当に感謝しております。

 東日本大震災と原発事故以来、政治・社会が激動するなか、みなさまに与えていただいた貴重な議席を生かして、今年、県民、市民、東灘区民の願いの実現にがんばるとともに、兵庫を変え、日本を変えるために、全力を挙げたいと思っています。

 ご一緒に希望を開く年にしましょう。 


 ◆大晦日からの動き

 大晦日は新年のあいさつ用ビラの準備をし、23時半頃から住吉神社前にて初詣の方にごあいさつをしました。
  何人かの方から「昨年も少なかったけど、今年はもっと少ないなぁ」と残念がられている声をお聞きしました。
 初詣に来られていた東灘民商会長の堀口さんにお願いして、写真を撮ってもらいました。

住吉神社前。西市議と。
後ろが暗くてどこか分からないと思いますが…。
  2時頃帰宅し、仮眠。
 6時から保久良山ふもとで初日の出を見に来られた方々にごあいさつ。
 「消費税上げるのをやめさせて」とか「消費税は廃止して」と見知らぬ人たちから声をかけられました。
 
保久良山。隣は松本市議。
空気が澄んで、気持ち新たに。

 その後、11時から再び住吉神社前に。12時までごあいさつしました。
 実は子ども2人がついてきていて、終わってからは子どもと過ごしました(^v^)。


住吉神社東側です